途中に関所を造っておくれ。ちなみに、ど真ん中あたりがエイバルですレアル・ソシエダからアスレテイックへ移籍していくケースを『A-8号線に乗る』てな表現をするみたいですね。今回のイニゴーの移籍で散々この表現がされていて、加えて今日はMDにもDVにもそのA-8号線を去って行った逃亡者達の歴史が載っておりました。興味深かったのでご紹介してみます。(例によって間違ってたらごめんなさい。)
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1989年 ロレン えええっ!禁断の扉を開いた第一号は、現スポーツ部長のロレンさんだったですと!し、知らなかったですよ。この方2001年くらいまでラ・レアルにいたじゃないですか。で、出戻りだったんですね。
最初の移籍は当時FWだった若いロレンさんだったそうで。アスレティックが彼の違約金180万ユーロを支払って連れてったそうです。これは当時のスペイン史上最高額の移籍金だったそうです。しかし、これ以前に移籍した選手がいなかったてのが信じられないーーー。昔は自分とこの地元の選手だけを使おうという不文律があったってのは本当だったんですね。
何故ロレンさんも禁断の扉を開いちゃったのかーーー。この1989年というのが、純血主義を捨てて初めての外国人選手(リバポー伝説のジョン・オルドリッジ)をとった年、これも関係あるのかなーとか深読みしてみたり。まーこれじゃぁロレンさんもイニゴーを引き止めにくかったでしょうね。
しかし、そんな大騒ぎしてとったのに、アスレティックは2年で放出、ロレンさんはクレメンテの下でCBにコンバートさせられたらしい。その後2年をレアル・ブルゴスで過ごし、出戻って来ました。
2 1990年 ダビド・ビジャボナこの選手も違約金30万弱を払って引き抜いてますが、この選手はサンセに2年、トップチームに1年と在籍期間が短いので特記事項は無し。しかしやはり3年で放出。
3 1994年 ビチョール・アルキサビチョールは特殊な可哀相なパターンなんですよね。ラ・レアルの会長の息子であった彼を、ラ・レアルのファンが「親の七光り」だと言って追放した形なんです。ひどいよぉ。当時の監督トシャックも戦力外扱いし、結局ラ・レアルから132万ユーロで売却しました。
でもその後はアスレティックの中心選手として活躍し、2003年にラ・レアルに帰って来たのは皆様ご存知の通り。今もベテランリーグではアスレティックじゃなくてラ・レアルの選手としてプレーしてくれてます。
4 1995年 ホセバ・エチェベリア翌年、ビチョールを虐めた天罰が下りました。カンテラの星エチェベリアがかっ攫われました。17歳の彼にかけてたまさかの330万ユーロの違約金を払い、アスレティックが連れてってしまいました。この金額は、やはり当時の20歳以下の選手に支払われた史上最高額だったそうです。
この頃のエチェベは髪もふさふさで、ユースの大会でラウル、デ・ラ・ペーニャと共に大活躍!今で言えばボヤンとかネグレドとか、そんな金の玉子だったイメージ?この強奪に怒ったドノスティアは暴動寸前だったそうな。
そしたら、上の地図みたらエチェベの生まれたエルゴイバルって、もろA-8号線の上だわ。運命だったのかしら。
ふー、ちょっと疲れたので、この続きはまた書きます。あと6人いるのかーー